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2008.09.20(土)
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天皇、皇后両陛下は14日、21日から10日間の日程で英国、スウェーデン、バルト三国の欧州5カ国を訪問するのを前に、皇居・宮殿「石橋の間」で記者会見に臨まれた。
天皇陛下は旧ソ連圏では初の訪問となるエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国について、「帝政ロシアから独立後、ソ連に併合され独ソ戦の戦場となり、多くの人命が失われました。(訪問を機に)苦難の歴史に思いを致し、わが国と三国との相互理解と友好関係の増進に尽くしたい」と述べられた。
また皇后さまは、「(三国の)人々が過去に味わった多くの苦しみを、少しでも理解するように努めたい」と述べ、第2次大戦後に独立を回復するまでの歴史へ思いをはせられた。
今回のご訪問は魚類の分類学者としても知られる陛下が、スウェーデン人生物学者、リンネの生誕300年を記念してスウェーデンとリンネ協会のある英国で催される式典に、協会の名誉会員として招待されたことから実現した。この点について陛下は、「うれしく思っています」と感想を述べられた。(2007/05/15 04:46)
皇后さまがご成婚前と、皇太子さまをご懐妊中に天皇陛下に出された2通の手紙を収録した「美智子さまの恋文」(新潮社)の著者、橋本明さんが産経新聞のインタビューに応じ、出版の経緯と思いを語った。
収録された手紙の一つは、ご成婚前の昭和34年初頭に書かれたもの。初めて民間から皇室に入る皇后さまの静かで深い決意が滲(にじ)む一方で、「殿下のお望みに沿いつつ、皇室の中に波紋をたてぬために、私はどうしたら良いのでございましょう」と、不安を正直に吐露される一節も。
もう一通は、皇太子さまをご懐妊中の35年1月に書かれたもので、「赤ちゃんのことが心がかりでなりません。手元で育てさせていただくとすれば、それはもう皇后さま(香淳皇后)の時代と違う形をとることになってしまいますし、それから乳人の問題も−」と書き出されている。
この手紙を写した文書(200字詰め原稿用紙62枚)を橋本さんが入手したのは46年のこと。女性週刊誌に「皇城の人びと」を連載していた作家の北條誠さんが、天皇陛下のご学友で共同通信の記者をしていた橋本さんを見こんで、所有していた手紙の写しを委ねた。
問題は文書の真贋(しんがん)だった。確認の経緯について橋本さんは「絶対に明かすことはできません」と言い、交渉相手を《向こう側》と表現する。
「《向こう側》に何度もボールを投げ、3カ月後、お使いの人と会うことになったのです。その時に手渡されたのが2通の手紙をタイプした文書でした。その際、『橋本との友情を大切にしたいと思った』という陛下のお言葉を伝えてもらいました」
手渡された文書には、北條文書にはなかった手紙の書かれた日付がきちんと記されていた。
では、どのような経緯で手紙の内容が流出したのか。橋本さんは「推測にすぎないが」と前置きしたうえでこう語った。
「陛下は整理整頓があまりお上手ではありませんでした。手紙も人の目の触れる場所に置かれていたのかもしれません。当時、民間出身の美智子さまに対する内部のバッシングはひどいものでした。美智子さまを助けたいと考えた人が、皇室ものの連載で人気のあった北條さんに手紙の写しを送ったのではないでしょうか」
「皇太子ご夫妻に伝えられれば」
橋本さんは同書の出版に続き、12日夜にテレビ朝日系で放送される皇室特番「美智子さまの恋文」にも全面協力した。その理由をこう語る。
「東宮(皇太子)さまの周辺から伝わる芳しくない話を聞くにつけ、陛下と美智子さまが目指された皇室のありようを確認し、皇太子さまと雅子さまにお伝えできたら、という思いで取り組みました。特に美智子さまのお手紙は、現在の皇室の原点がうかがえる文書であり、絶対に世の中に出す必要があると考えました。民間出身ということで激しいバッシングにさらされていた美智子さまが耐えられ、陛下が支えられたからこそ現在の皇室があるのです」
このインタビューで橋本さんは、両陛下の出会いとなった、昭和32年夏のいわゆる「テニスコートの恋」は、演出されたものではなく、間違いなく偶然の出来事であったと語った。
「私は当時のトーナメント表を持っています。それを見ると、お二人は(ダブルスの)4回戦で対戦されているのです。出会いを演出するのであれば初戦で対戦させるはずです。つまり勝ち上がったお二人は偶然対戦することになった。そして2時間近い熱戦の末、美智子さまペアが勝たれ、陛下は美智子さまに強い印象を持たれたのです」(桑原聡)(2007/05/12 02:33)
天皇、皇后両陛下がスウェーデンなど欧州5カ国を訪問される21日から30日まで、皇太子さまが国事行為を臨時代行されることが、11日の閣議で決まった。(2007/05/11 10:36)
天皇、皇后両陛下は10日、東京都目黒区の区立八雲保育園を視察された。両陛下は毎年、「こどもの日」の前後に児童関連施設を訪問されている。 同園は0歳児保育を実施しており、約130人の園児が通っている。両陛下は0〜1歳児の保育室をご視察。4、5歳児が積み木遊びをしているところでは、両陛下はひざを折って笑顔で園児に話しかけられた。(2007/05/10 11:09)
天皇、皇后両陛下は7日、今月下旬に予定しているスウェーデンなど欧州訪問を前に、東京都八王子市にある昭和天皇の武蔵野陵と、香淳皇后の武蔵野東陵を参拝された。(2007/05/07 12:11)
皇太子さまは7日、新幹線で京都市入りし、同市内で開催しているアジア開発銀行(ADB)年次総会の尾身幸次財務相主催昼食会に出席された。
加盟各国・地域の財務相や中央銀行総裁らを前に、皇太子さまは「日本は環境問題への取り組み、伝統文化と先進性の両立、自然との共生などについて長い経験を有しています。特に京都は千年以上もの長い古都の歴史を持っております。ここ京都での年次総会が実り多いものとなることを願います」などと英語であいさつした。
皇太子さまは京都伝統工芸館などを視察し、8日夕に帰京する予定。(2007/05/07 11:23)
天皇、皇后両陛下は5日夜、秋篠宮家の長男悠仁さまの初めての端午の節句を祝い、皇居・御所で一家と夕食を共にされた。一家は午後6時半ごろ、皇居・乾門に到着。ワゴン車の3列目の席にチャイルドシートが設置され、紀子さまが寄り添うように座られていた。(2007/05/06 01:19)
皇后さまは2日、東京都中央区の松屋銀座本店で「サン=テグジュペリの星の王子さま展」を鑑賞された。
皇后さまは皇太子妃だった昭和38年に初めて童話『星の王子さま』を読み、深い感銘を受けられたという。この日は同書を初めて邦訳した故内藤濯(あろう)氏の長男、内藤初穂さんらがご案内。皇后さまは同書の挿絵の原画などの展示品を「ああ、きれいね」と懐かしそうにご覧になった。(2007/05/02 12:42)
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